17歳の頃「料理研究家・上村節子」になること夢見て、35年かけてここまで歩いてきました。
そんな私の73歳になる母が父の元へ嫁いできたときに、姑から米2升の味付けを習ったので、 私が里帰りしたときなどには2升のすしを漬けてくれます。酢と砂糖、そして塩。 これだけで絶妙の味のバランスに仕上げます。料理上手に必要なのはテクニックだけではなく、食する者に対する慈しみがあればこそ、と思い至る今日この頃です。
1950年山口県萩市に生まれる。
「心と身体の健康は食事、睡眠、運動から」をポリシーとした研究活動を福岡を拠点に展開中。
・岩田屋本館B2
 「上村節子の旬菜キッチン」惣菜コーナー2004年オープン

・バリアフリークッキング開催

・企業へのメニュー及び商品開発アドバイザー

・著書
  「上村節子の元気なおかず」(海鳥社)
  「上村節子のさしすせそ」  その他




73歳になる私の母は、今でも孫達のために台所に立ちます。母が嫁いできたときに姑から米2升の味付けを習ったので、私が里帰りしたときなどにも喜々として2升のすしを漬けてむかえてくれます。酢と砂糖、そして塩。これだけで今だもって私には真似のできない絶妙の味のバランスに仕上げます。

料理上手に必要なのはテクニックだけではなく、食する者に対する慈しみがあればこそ、と思い至る今日この頃です。

平成15年10月吉日

それ以来35年を経てここまで歩いてこれたのは、自分への誇りと家族への感謝の気持ちがあったからだと思います。今では息子も私と同じ道をたどり始めました。

20代で自分の家庭を持ってから「家族の健康を考えた料理」をと考え、緒方尚子先生(医学博士・元中村学園大学教授)に師事し、栄養学を基礎とした家庭料理を学んできました。

そのさなかに、私が料理についてはっきりとした方向性を持つきっかけになったのが、40代の時にホームステイしたアメリカ・アイダホ州の日系アメリカ人の主婦、フランク・君子・トミナガさんとの出会いでした。

トミナガさんは、お母さんから習った日本の家庭料理を基本にアメリカの味をプラスした、家族の健康を守る「私流の料理」を作られていたのです。女性達が引き継いできた料理に込められた知恵を、次の世代に伝えて行くこと。 それが料理研究家としての私の原点になりました。







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